たいらくなていたらく

頽落(たいらく)とは - 頽廃してしまった人間存在。堕落と言い換えてもよいだろう。ハイデガーの言葉。

年末には効用がある。これは信じていいことなんだよ。

25才にして初めて、年末の効用に気づいた。ちょっと遅かったとも思うけれど、ついに気づいた。師も走る師走の焦燥感にすっかり飲まれている。

特にクリスマスを過ぎたあたりから世界か私か、とにかくおかしくなり始め、紅白もガキ使もやってない今夜30日がたぶんピークなんじゃないかと思う。日中は拭き掃除をしてみたし、それから老舗のデパートにも寄ってみたし、帰ってきたら使ってない化粧品も思い切って捨てた。

断捨離。新年を迎え入れる準備。忘年会シーズン。それが年末。

色々と説明はできるけど(もう25回目だし)、どうにもしっくりこない。節目、というよりも「おしまい」の感覚が強い気がする。テレビ欄の番組タイトルの後ろに(終)の文字を見つけたときの気持ちだ。正確には、あ、いつも見てる神風怪盗ジャンヌ、次が最終回だって。ほら、おしまいって書いてあるよ、とか、予期せぬ宣告がたまにあった子ども時代の恐怖だ。子どもはフラグを察する力が低いので、あーこれはそろそろ展開が収束していく流れだなー、もう○○話だし、とかいう結末への準備がないし、故にもちろん納得もしない。え、ずっと見てたのに。。えっ。もう見られないのこれ。なんだと。学校が現実生活のほぼ全てだとしたら、小学生の空想や遊びの世界なんて大体アニメ関連である。それが突然、忘れる前に失われるのである。ブツン。

f:id:zazalion3:20161231041822j:plain

年が終わることにそわそわ落ち着かないのも、似たようなことなんだろうか。キイテナイヨ!という謎の感覚。けど(もう大人だから)、信号の色が赤青から玉虫色とか水玉模様に変更になるわけじゃないし、ネクタイもスーツも廃止されないし、引力も弱まらないし、年を越しても本当はそんなに何かが変わるわけじゃないことも知っている。知ってる、知ってる、と唱える。

それでも夜更かししてGoogleが教えてくれないこと思いついたりしないかな、と考えを巡らせてしまうのは、この「おしまい」の感覚がとてつもない何かに結びついているんだろうなあとひしひし感じるからだ。だから今夜は、おしまいなんて嬉しくないし、さっさと寝よう、とはならない。

おしまいって何だ。究極的な「おしまい」はやっぱり、死だろう。一人称の死。つまり、私自身が死ぬということ。まあ、いつか私が死んだとしても、世界は終わらないし他の人たちもしばらく生き続けるだろう。たぶん。(そう考えない人もいるけど、これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。)2016年が終わるというのも、2017年の始まりと全く繋がっているわけで、別に大丈夫だよね、世界は続いているし、ほんの少しのあいだ滅びてまた生まれ直したりしない。真っ暗・真っ白の無の瞬間なんてなく、2016年の死=2017年の誕生。

それなのに、何かが終わってしまう、死んでしまう、突然のお別れが迫っている。そんな考えが、年末になってからぴったり寄り添って離れない。はっ。これはつまり、、大変残念、2016年の私がもうじき死ぬ。(!)

え、ずっと生きて過ごしてきたのに。。えっ。もう今年と私、消えてなくなるの。なんだと。

年末の焦燥感は、死の恐怖でした。初めての年末の掃除しなくちゃ、なんか髪も染め直しておこう、ちょっとカフェで読書しておこう、お気に入りの通りを散歩しよう、ハガキ出して、あいつにメールして、こいつには、、もういいか、諦めよう、という一連の行動、完全に死期を悟った人だったよ。はーん。。

土に還りてえ。死んだらほんとに土に還れるかわかんないから生きてほんとに還れるのか確かめてる。一者とのゴーイツとかリューシュツとか言う人*1もいるけど、一者さん誰だよ。。とにかく海に灰を撒くとかエモい話じゃないんだ肝に銘じな。

 とか、先ほど、しらふで酔っ払いみたいな死後の心配ツイートをしてしまったのも、切実な「おしまい」への恐怖からだったんですね。よかった。

f:id:zazalion3:20161231041757j:plain

年末には効用がある。これは信じていいことなんだよ。