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たいらくなていたらく

頽落(たいらく)とは - 頽廃してしまった人間存在。堕落と言い換えてもよいだろう。ハイデガーの言葉。

高校時代、男子はバカだし女子はうるせえし、先生は人のはなし聞かないし、最悪だったのはどう考えてもわたしがひねくれてたのが悪い

ジェンダーについて考えるのはめんどくさい。なんかごちゃごちゃしてるし、 人はその人個人であって、性別、恋愛対象、人種や国籍、職業や学歴とか、カテゴリーで他者との関わりを済ませるとズレが生じる 、ということか。ふーん。。だから、細かい区分の更新とか個人的な内容に深入りするのがめんどくさかった。

そういった事情をなんとなく知りたくて、まず自分を文脈に当てはめてみるけど、どうやっても合わない。なんだか本末転倒になる気もするし。とにかく、その方法論が使いこなせなかったから、いつも偽のアイデンティティを作り上げては壊して終了。つまり、みんなが当事者じゃないとジェンダー論は成り立たないと思いつつ、あまり当事者意識が持てなかったから考えるのをやめてたのである。

けど、社会に出てしばらくしてから、おっさんの目線が苦痛になってきた。これが例のあれか。とんでもなく不当なものを求められてる感じはしないけど、こちらが何かいいものを提供できる前提で関係が築かれていく。まあ、相手が見つけて受け取ってくれれば、何かいいものあるのかもしれないけど。持続的な提供のお約束はできないから、この期待感を廃止できるなら、してほしい。だっておっさんだって多分、疲れたわたしに笑顔でキットカットをあげることが義務だったらつらいと思うよ。そう、笑顔でキットカットを授けられたいのは疲れたわたし。ストレス社会で生きるわたしたちよ。

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 ただそこで男女平等!とか言っても、男女というどちらかに身を置かなくちゃいけないことになる。新しいカテゴリーの更新された役割を結局、引き受けるのである。しかし、いきなり人間平等!と言っても何の話かわからなくなっちゃう。これは困った。やっぱめんどくさいぜ。

☆☆☆

ジェンダー論は今まで避けてきたせいで大した知識がないから、類似品として高校生活を思い浮かべてみた。あまり覚えてないけど、

  • 男子はスポーツへの意欲、ボケツッコミの分担、ヘアワックスに関する知識、体力がすごかった。ゲーマーはPSP全盛期。
  • 女子は爆発したマフィンを配る、高音高速で駆け寄ってくる、メールの返信が遅れると根に持つ、なんか優しくしてくれるが理由はわからない、など。
  • 先生は白紙答案について呼び出してくる、なんか助けてくれようとするけど心当たりがない、記憶力が低い、遅刻すると社会で生きていけないことを教えてくれる。

これがひねくれたわたしのハイスクール・ライフ。なぜこんなにも漠然とした偏見に満ちているのか。もちろんわたしに原因がある。当時のわたしは、実家を脱し自由に文学やアートに触れたおかげで、早めに大二病に感染していた。周りとの溝を順調に深め、ひとりゴッホの自殺に関心を寄せていたのだ。よって、高校の記憶は非常に曖昧で妄想によって補完されている。

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学校そのものはわりとのびのびとしてたから、人間関係におけるキャラ付けや熾烈なポジション取りみたいなのはなかったと思う。それでも高校だから、男女の住み分けがあり、基本的には規律を教える大人たちがいた。そんな中、私服通学だったし、編入して2年しか通わなかったし、塾も部活にもほとんど行かなかったし、いわゆる女子高生オーラのなかったわたしは、そういう外から見たわかりにくさを自分でも理解していなかった。ガンプラとお菓子作りが趣味で、スコーンでお茶を淹れながらドズルの最期で泣いてたとき、クラスメートも先生もわたしを一人の女子高生として理解しようとしてくれてた。

そして社会との関わりが偏ってたせいか、社会的な男女の役割も適当に引き受けてた。男の子は力があって強いから、貧血のわたしを守ってくれる。というのと同時に、女の子はデリケートだから、ひどいことを言っちゃいけない。女の子は美しいから、下品なことは言わないはず。 となると、わたしは誰、男子なのか、女子なのか。お昼休みはベランダで食べたり屋上に忍び込んだり、女の子と食べたり親友のいる男子部屋(?)に行ったり、図書委員すらいない図書館でぼんやりしたりしてた。『ぼくの伯父さん』*3か。もっと殺伐とした高校だったら、100年くらい孤独になって、自らの偏見に首を絞められてただろう 。もちろん少ない友達もクラスメートも、青春だし他者に理解されなくて傷ついてたと思うけど、残念ながらあまりよく知らない。わたしは萩原朔太郎と会話してた。

 ☆☆☆

つくづく理解というのは相互的なものなんだなと思う。高校時代を知る証人(2人)のうちのひとりは、「完全に綾波レイだったよ。ひねくれる余地もなかったよ」とか「何もなかったよ。気持ちもなかったよ。きっと!」と容赦ないコメントである。

レイとアスカが現実にいた場合、どちらの方がモテるかというのは議論の余地がないほど明らかでしょう。事情はともかく、無口で、コミュニケーション能力に乏しく、社会常識がない。そんな人間は男女問わずモテるはずがないのです。*4

 ベッドと机と小さい本棚しか部屋になかった練馬の高校生に青春は与えられなかった。

綾波だったよ、とか軽口を叩けるのは、ある程度の親しみと理解があったからだと思う。そうじゃない場合は、女子高生であるはずなのに女子高生らしくない、得体の知れないものに映ってたはずだ。そして、なんか変わったやつになっていく。

なんか変わってて理解が難しいからといって、好かれないとか嫌われるとか嫌がられるとは限らないけど、たぶんお互いホラーだったのかな。なんの話だっけ。とにかく、既存のラベルに自分をフィットさせようとしてもうまくいかないし、相手にいくらばしばしタグ付けしても距離は縮まらないということです。他者という未知への恐怖!もあるけど、ありのままの自己との向き合えなさの方が深刻なような気がします。相手よりも、自分に対するステレオタイプ。自分くらいわかってやれよ。

☆☆☆

大学の倫理学の授業で、

他者を理解するにあたって必要なのは!?

と、先生が黒板を背に白熱教室し、アッ想像力だ!と思いついた矢先、

そう!!コミュニケーションですね!!!!!!

と叫ばれたときの衝撃と過去の走馬灯。忘れられません死ぬまでは。

*1:牧村さん自身は「LGBTという言葉が生まれた歴史を踏まえた上で(略)もう『LGBT当事者です』って名乗ることをやめています。」

*2:この絵めっちゃよくない。The Starry Night, Van Gogh, 1889

*3:ジャック・タチの映画、1958年

*4:リアクションが重要!エヴァ3人娘に学ぶモテの極意【「オタクにモテてもしょーがない 第1回】 | ココロニプロロ|恋愛×占い